| 国内最古級とみられる丸木舟 | |||||
| 日本最古の暦記した木簡出土…奈良・石神遺跡 | |||||
滋賀県米原町の入江内湖遺跡で、縄文時代前期前半(約5500年前)の国内最古級とみられる丸木舟がほぼ完全な形で見つかり、滋賀県教育委員会が24日、発表した。同時期のものとみられる漆塗り木製品も出土。この時期の西日本で漆塗り木製品は珍しく、県教委は「(同遺跡のある)琵琶湖周辺は早い時期から丸木舟を使った交易が始まり、高度な技術も取り込んだ経済的に安定した社会ができていたのではないか」としている。 丸木舟は当時の川底とみられる地層から出土。針葉樹を使い全長約5・4メートル、幅0・5メートル、彫り込んだ内部の深さ約30センチ。船首、船尾ともほぼV字形で、今年1月に約1キロ北東で見つかった縄文時代後期の丸木舟に比べ、スリムな形だった。 漆塗り木製品はわん形で材質は広葉樹。直径、高さとも約20センチだった。(共同通信) |
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日本最古の暦記した木簡出土…奈良・石神遺跡
奈良県明日香村飛鳥の石神(いしがみ)遺跡で、持統3年(689年)3、4月の一部の暦を記した木簡が出土したと、奈良文化財研究所が26日、発表した。 中国で5世紀半ばに作成された「元嘉暦(げんかれき)」で、実物の発見は中国や朝鮮半島などを含めても初めて。文献でしか知られていなかった律令国家成立期の暦の存在を裏付けるもので、わが国最古のカレンダーとして注目される。 この木簡は、直径約10センチ、厚さ1・4センチの円盤状。もとは縦約25センチ、横約50センチの長方形だったものを、不要になったため丸く削り、容器のふたなどに再利用したと見られる。 暦は、表に3月8―14日、裏に4月13―19日のそれぞれ1週間分の記載が残っていた。日付と干支(えと)に、日々の吉凶を示す暦注を書き加えた「具注暦(ぐちゅうれき)」と呼ばれるもの。「破」「危」など1文字で日々の吉凶を示す「十二直(じゅうにちょく)」や、「九坎(くかん)」(万事に凶)、「天倉」(蔵開きに吉)といった具体的な行事の吉凶などの暦注が順に記されていた。中には、「往亡(おうもう)」(旅行などに不吉)、「血忌(ちいみ)」(出血に凶)などの記述もあり、高島暦など現代の運勢暦にそのまま残っているものも少なくなかった。 元嘉暦はわが国で最初に採用された中国の暦で、6世紀半ばに、中国から朝鮮半島を通じて伝来したとされる。7世紀初めには、暦の専門家が養成され、このころから暦が公式に使用されたと考えられている。暦は、政令発布や宮中行事の日取りなどを決めるのに用いられ、国家の運営に不可欠だった。 これまでの最古の実物は、元嘉暦の次に採用された「儀鳳(ぎほう)暦」に基づいた神亀6年(729年)の暦で、1980年に静岡県浜松市・城山遺跡出土の木簡に記されていた。 (2月26日22:15) |
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| 独り言・・・よく、今の時代ので、腐らず残っていたものです | |||||
15点のうち、2点を測定。当初の推定を約400年さかのぼり、男性とみられる左大たい骨(長さ21・5センチ)が「紀元前1260―同1130年」との結果が出た。 出土時、傷跡を金属器での殺傷痕とみて「縄文期に戦争があった」と指摘。「戦争が確認されている弥生期との境目。どの時代か不明」との反論もあったが、年代が固まったことで、論争は新たなステップに。(1月28日) |
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| 独り言・・・・どの時代にも、争いごとが | |||||
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| 独り言・・・どうして何百万年のことが、わかるんでしょうね |
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